10月1日の映画デーに見てきました。一律1,000円で見ることができます。子供の場合は逆に高くなります。
ネットで調べてみましたが、この映画の評価はあまり高くないようです。それに監督が宮崎駿の息子だということで、いろいろな憶測もあるようです。でもそうした外部要因に惑わされずに冷静に見てみれば、そんなに悪くはないです。もちろん脚本が散漫な印象はありますが、扱っているテーマはかなり深いし、少なくともテーマを観客に投げかけるという役割は十分担っています。
同じくジブリ作品の『紅の豚』と、テーマは共通していると思いました。テーマはふたつあります。
ひとつは「原罪」です。『紅の豚』では、戦友が皆死んでしまい自分だけが生き残ったことで、主人公は豚に姿が変わってしまうのですが、それは原罪を背負わされたと見ることができるでしょう。『ゲド戦記』の場合には、言うまでもなく、父殺しと放浪がそれに相当します。
もうひとつは「影」です。あまりうまく描かれてなかったのですが、『ゲド戦記』の主人公アレンを突き動かす「影」のことです。内面の分裂のことですが、『紅の豚』ではどこでそれが出てきたかというと、ポルコ(豚)はマルコ(豚に変わる前のパイロット)の「影」ではないかと私は思うのです。
アレンの「影」は、衝動や悪への意志といった人間のいわば否定的な面を表わしていますが、ポルコの場合は、自由や夢といった肯定的な面を表わしています。こうした違いはありますが、どちらにも共通するのは、影は本体なしでは何もできないということです。特にポルコの場合は、影そのものですから、それだけでは「ただの豚」(映画の中の台詞)です。逆に、影を持たない本体は生気に欠ける偽者でしかありません。人間は欠落や隙間を抱えていて、それを埋めるために影を必要とします。たとえ影が悪である場合でも。
『ゲド戦記』も『紅の豚』も、どちらも影をどう受け容れるかを巡る物語と言えるでしょう。『紅の豚』の場合は、影であるポルコが、マルコに戻るのでなく、ジーナやフィオをはじめとする登場人物すべてに受け容れられることで、世界が救済されるというファンタジーになっていますが、『ゲド戦記』の場合はちょっと難解です。しかし世界の救済がそんなに簡単に得られるはずもないわけで、そういう意味で『ゲド戦記』の結末は安易だと言われても仕方ないでしょう。