需要と供給(構造偽造の背景)
昨年亡くなった経済学者のミルトン・フリードマンだったら、日本の構造計算書偽造の問題や、カラオケ店の火災について何と言うでしょうか。
フリードマンの思想的立場は、新自由主義です。企業が利潤を追求し、消費者が自分の満足を得るために行動すれば、市場を通じて最適な分配が実現されるという考え方です。政府による所得の再分配や景気浮揚策は、無駄なばかりか有害だと主張します。第2次大戦後の各国の経済政策はケインズ派が握っていましたが、70年代に世界的に経済が失速すると、ケインズ経済学を否定する新自由主義経済学が台頭しました。フリードマンはそのシンボル的存在です。
特にアメリカやイギリス、そして日本では、新自由主義的な政策が次々と実行されていきます。各種の規制緩和は、そうした政策の一環です。日本では、建築確認は行政の独占的な業務でしたが、90年代にはサービス向上の名の下に、民間委託が可能になりました。構造計算書の偽造を見落としたのは、民間の確認検査機関です。ただこれについては、たとえ行政が建築確認をしていたとしても、偽造の発見は困難だったという意見もあります。しかしそれは仮定の話であって、建築確認が民間委託されて以降に、こうした偽造が行なわれるようになったという事実は変わりません。
需要が供給をつくるというのが、新自由主義の考え方です。需要を満たすためのサービスを提供するのは、経済的には正義ですから、需要と供給の間に倫理が入り込む余地はありません。偽造の見落としが意図的であったかどうかという問題ではなくて、それが需要に見合った供給だったということです。経済的にはこれで完結しています。
偽造がなぜ行なわれたのかも、同じ論理で説明できます。それは偽造に対する需要があるからです。もちろん偽造を行なった建築士は倫理的には許しがたいのですが、彼らとて、需要があるからこそ、偽造という供給を行なったわけです。偽造せよという明示的な指示の問題ではなく、発注者と設計者とが経済的合意に達したからこそ、契約が行なわれ、成果品が提出されているのです。アパホテルの発注者は、「建築士を信用しすぎた」という発言をしていますが、まともな経営者ならば、契約相手のリスクは既に折り込み済みのはずです。
しかし構造計算のような専門的な業務について、専門家でない発注者がチェックするのは不可能ではないかという反論は、当然出てきます。専門性が必要で、かつ公共的な業務は、通常国家資格になっていて業務の独占が認められています。建築士制度もそうです。その上に、建築確認という行政による審査制度が設けられています。これらは市場経済の外にあります。市場の外にあるので、確かに効率的ではないかもしれません。しかし、こうした制度によって市場経済に制限を加えることで、バランスが保たれていたと言えるでしょう。ですから、偽造事件関係者のように、規制緩和の恩恵を利用しながら、最後は制度にすがるというのは、虫が良すぎるというものです。
フリードマン流に言えば、偽造をなくすのは簡単です。建築確認を受けるかどうかを建築主が選べるようにすればよいのです。「選択の自由」ということです。設計者に建築士の有資格者を選ぶかどうかも自由です。そうすれば、無資格者が設計し、建築確認を受けないまま建てられた建築物でも、建っている限りは違反建築ではありません。その代わり、構造の安全性等のチェックは、すべて建築主の自己責任で行なわなければなりません。それと不特定多数が使用する建物の場合には、建築確認を受けていないことを表示して、消費者がその建物を使用するかどうかを判断できるようにしなければなりません。そうすれば、消費者の判断、つまり市場原理によって、その建物の経済的な安全性が決まることになるでしょう。
もっとも私は新自由主義者ではないので、もし建築主の立場になることがあったら、建築確認を受けることを選択しますが。ただし建築確認も、民間委託を止めて、責任の所在をはっきりさせることができる制度にする必要があります。
