食中毒に結びつくような偽装や、添加物に関する偽装は、明らかに社会的に有害なので厳罰をもって臨むべきです。しかし、地鶏かどうか、あるいはブランド牛かどうかの偽装は、ちょっと微妙な問題です。害されたのは、食べた人の健康ではなく、消費者のプライドです。これは別の問題として考えた方がよさそうです。さらに微妙なのは、ミートホープが行なったような牛肉にウサギなどの肉を混ぜるという手法です。これも身体的な害はないわけです。しかしこちらは、傷つけられたのが消費者のプライドだけともいえない部分もあります。
食品流通は、現代ではブラックボックスです。消費者に流れてくるものが本物かどうか、消費者は正確に知ることはできません。そこで本物かどうかを保証する制度が必要になります。そうして構築された制度が、最近になって、一連の偽装事件によってほころび始めているわけです。
問題が複雑なのは、偽装に手を染める動機を制度自体がはらんでいるということです。たとえば賞味期限ですが、賞味期限内ならば消費者はその食品に疑問をいだきません。それが賞味期限が切れたとたんに大問題になります。しかし食品そのものは、安全率も見込んでいるはずなので、1日の差で品質が極端に変わるわけではありません。こうした状況で、「賢明な」経営者がラベルの貼り替えを思いつくのは時間の問題です。同じことはブランド食材にも言えます。その食品がブランド食材を使っているかどうかを保証するのは、貼ってあるラベルだけです。ラベルをより多く貼ることで利益が増えるならば、「賢明な」経営者はそうするでしょう。
偽装事件は、製造者だけに問題があるのではなく、構造的には消費者にも問題があります。ですから、消費者がもっと賢くなれば良いのですが、実際はそう簡単にはいきません。なぜなら、判断のための情報が消費者にないからです。そこまで食品流通のブラックボックス化は進んでいるということです。
どんなものでも、うまい話には裏があるものです。その危険な匂いをかぎつける動物的な勘を養うしか、対処方法はないのでしょう。
建築の構造偽装についても、まったく同じことがいえます。
