羅城門

現在の京都は、京都駅を貫く烏丸通りが中心軸になっていますが、これはかつての平安京の中心軸とは一致しません。平安京の中心軸は現在の千本通りです。その中心軸の南端にあったのが、都市とそれ以外とを分ける羅城門です。
都市をその周辺から分ける境界というのは、中世都市では大きな意味を持っていたはずです。羅城門は、都市域の南側を守る要です。
しかし現在の羅城門は、九条通りから少し入った児童公園の中に、石碑が残っているだけです。平安京を起源に持つ京都にあって、この羅城門の遺跡の扱いには、納得がいかないものがあります。この時代の遺構を残さないことには、歴史都市としての意味はないでしょう。
都市を守る城門には、通常は兵士が配置されるのですが、芥川龍之介が書いているように、城門の2階は鬼の棲家になっていきました。このあたりが面白いところです。最初は都市を守るという意図で、物理的な内部と外部の境界として設定されたものが、次第に内部と外部とを区分けする機能を失い、対立は、人間対鬼という関係にすり替わっていきます。鬼は、都市の外部に追いやられるのではなく、都市の中に形を変えて住みつくということでしょう。ですから平安京というのは、人間と鬼とが、同じ場所でありながらレイヤを変えて共存するようなイメージだったのではないでしょうか。
少し前にJR西日本が、岡山の観光キャンペーンをやっていましたが、岡山も鬼の伝説で有名です。桃太郎の話として残っていますが、鬼が島のモデルとなった場所が、総社の近くにあります。いわゆる日本の文化とは異質な文化があって、異質な文化との抗争が鬼退治の題材だったようです。その異質な文化は、中国や朝鮮、あるいはもっと南の方から来ていたようです。
鬼の住む場所と人間の住む場所とが、空間的に隔てられているという構図ならば、まだわかりやすいのですが、京都の場合はそれとはちょっと違います。同じ場所にいるのに、見える人には見えるし、見えない人には見えないというように、3次元の世界を超えたところに、鬼が住んでいるかのようです。
映画『シティ・オブ・エンジェル』のように、天使はすぐそばにいるのに、人間から天使は見えず、天使からは人間が見えるという不可逆的な関係があるのと似ています。
羅城門が2階建てというのは、ひとつのヒントでしょう。1階は人が通る部分なので、住む場所は必然的に2階部分ということになります。当時の普通の建物は平屋ですから、2階部分を使うような建物というのは門くらいしかなかったともいえます。その2階部分に鬼が住みつくというのは象徴的です。平安京は、人が住む地上部分と、鬼が住む2階部分とに層(レイヤ)が分けられていると言えるでしょう。もちろんそれは架空のレイヤですが。
敵である鬼を、空間的な外部に放逐するのではなく、内部に取り込んでしまっているというのが、京都の特徴ではないかと思います。それは祇園祭の起源を考えてみれば理解しやすいでしょう。厄病や自然災害に見舞われたとき、当時の人々はその原因を「科学的に」突き止めようとはしませんでした。この世に恨みを残して亡くなった人の霊がそうした災害をもたらすと考え、ひたすら霊を鎮めることに傾注したのです。
現代にあっても、敵が外部にあり、その外敵によって社会の問題が引き起こされているというモデルは有効ではないでしょう。問題を引き起こす「狂気」は社会の内部にあります。芥川龍之介が羅城門を題材に選んだのは、それを直感的にとらえていたのだと思います。

