京都迎賓館

京都迎賓館の見学会に行ってきました。午前中は、迎賓館建設に関わった人たちの講演会、そして午後が見学会でした。
講演会でも言われていましたが、伝統の継承ということが、京都迎賓館のテーマでした。立地が京都だから伝統がテーマになるというよりは、伝統の継承というテーマが先にあり、それを実現するのに適した場所として京都が選ばれたというのが実情のようです。はっきり言ってしまえば、京都に既にある歴史的な文脈を、テーマの実現のために利用しようということです。
既に何百年もそこに建っていた建築物は、否定できない伝統を持っています。デザインとして良いか悪いかの問題ではなく、ずっとそこにありつづけてきたという事実を、伝統として追認せざるをえないわけです。それに対して、新しく物をつくるという行為には、出来た建物が評価されるという保証がありません。一定の評価を受ければ、その先何十年かあるいは何百年かそこに建ちつづけ、新たな伝統となっていくでしょう。逆に、評価されなかったならば、伝統を語る文脈から脱落し、その建物が壊された時点で、人々の記憶からも消えていくでしょう。
まわりを歴史的な物が取り囲んでいるといっても、京都迎賓館の建物自体は新築ですから、あらかじめ伝統の継承が保証されているわけではありません。ですから、伝統を継承するためには、そのための戦略が必要になります。京都迎賓館の評価というとき、個々の部分の評価にとどまることはできません。この戦略自体を議論の俎上に載せる必要があります。

その戦略とはなんだったのか。それは現在の京都の景観条例に通じるものがあります。「形から入る」ということです。触覚とか嗅覚とかもありますが、基本的には視覚から入る情報で建築や街並みを私たちは判断しています。ということは、見た目が同じなら、そこから得られる判断も同じになるはずです。京都の景観条例の根幹にあるのは、この見た目の維持という考え方です。構造が木造でなくても、見た目が町家ならそれでいいわけです。
京都迎賓館の構造は、もちろん木造ではありません。鉄筋コンクリート造や鉄骨造です。表面に木を張るなどして木造に見せかけています。しかしこれを捉えて、ただちに偽物だという言いかたはできないと思います。そうした情報を知らなければ、その人自身が見た目で判断するしかないのですから、重要なのは見た目ということになります。むしろ、構造と表現を切り離すことで、部分のデザインを自由にできるというメリットもあります。

テーマは日本の伝統の継承です。部分のデザインでは、歴史的な建物から抽出されたディテールが使われています。材料には一流の物が使われ、それを一流の職人が加工しています。壁画や調度品にも、もちろん伝統工芸の職人技がつぎこまれています。これで見映えがしないはずがありません。しかし、映像で見るのと、実際に見るのとでは全然印象が違うのです。部分ごとに見ていけばもちろん素晴らしいのですが、空間として体験したときには、全然和風でもないし、伝統が継承されているようには思えません。はっきりいえばオーラがないのです。新築の建物に、何百年もそこに建ち続けてきた建物が発するようなオーラを求めるのは酷かもしれません。しかし、京都迎賓館の場合には、何百億という金をつぎこんででも、そのオーラが実現したかったはずなのです。それと、新築だからオーラがないというのは言い訳にすぎません。新築でも、入ったとたんに、何か凄味を感知させる建築というのはあります。
京都迎賓館の場合、おそらくは伝統というものの抽出の仕方が間違っているということなのです。精神は形を通してしか表現されないのですから、伝統的なものから形を抽出してくるしかないのですが、その抽出されたものが、ことごとく的をはずしていたということなのでしょう。

