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2008年05月 アーカイブ

2008年05月06日

佐川美術館

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 滋賀県守山市にある佐川美術館では、美術館の開館10周年企画として「小磯良平と佐藤忠良展」が開催されています。

 小磯は油彩による肖像画、佐藤はブロンズによる人物像が展示されていました。これらを見ていると、第二次大戦をはさんだ時期の時代の空気が伝わってくるような気がします。もちろん私はその時期を直に知っているわけではありません。でも彼らの絵や彫刻には、その時代の典型的な人物の捉えかたが示されているように思うのです。明治や大正の頃のような、様式的に構えたようなところはありません。かといって、現代美術のような新しい試みが見られるわけでもなく、あくまで写実に留まっています。そうした描写がなぜかしら「自然に」感じられてしまうのです。

 肖像画や人物像の美は、どうやって判断されるのでしょうか。というよりは、モデルとなる人間の美はどうやって判断されるのでしょうか。実際そのモデルと話をしてみれば、視覚以外の判断基準に頼ることもできるでしょう。しかし入ってくる情報を視覚に限定すれば、美はビジュアルなものとして受入れられ、また表現されなければならないことになります。

 そもそもあるモデルを見たとき、その受け止め方は、見た人の数だけあるのではないでしょうか。輪郭は三次元座標で表現できますし、色彩も物理的に確定可能です。しかしそれが意味として受容される仕方には共通の方法はないように思われます。同じ物や人物を見ていても、実は隣の人はまったく別の受け止め方をしているのかもしれないのです。

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 画家が受容し、表現した内容にしても、事情は同じです。それがモデルの客観的な表現である保証はどこにもありません。モデルの内面を客観化できる手法などありません。ましてや画家や彫刻家がいったん受け止めて表現したものに、もともとのリアリティーを求めるというのは、原理的に不可能です。

 ここで、ではなぜ彼らの作品にその時代の空気を読み取れるのかという、最初の設問に戻るわけです。表現はしょせんは虚構にすぎません。しかし虚構として表現されてはじめて、モデルは意味を持ちます。虚構無しでは、人々のものの受け止め方はバラバラで、意志の疏通もままならないでしょう。ましてや芸術が成立するはずもありません。芸術とは、虚構を指すのだと思います。もちろん素材やモデルと無関係にその虚構があるわけでありませんが、素材だけでは成り立ちません。

 そして虚構はいったん成立すると、あたかも昔からそうであったようにふるまい始めます。小磯や佐藤の絵画や彫刻が、ある時期を表象しているかに見えるのはそのためです。必要なのは、虚構がもつリアリティーに対して、常に意識的であるような態度でしょう。しょせんは虚構であり、何の根拠もありません。しかしそうであるが故に、逆にリアリティーを獲得するという構造になっているのです。

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