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2008年10月 アーカイブ

2008年10月08日

ガソリン価格と交通政策

 一時期、1リットルあたり200円を超えるのではないかといわれたガソリンの価格ですが、最近は少し下がってきています。といってもまだまだ高水準ではありますが。

 でもガソリンが高いと言う場合、漠然とそう言うだけではなく、何に対して高いのか考えてみる必要があります。もちろん収入に対して高いということなのですが、その前にもう少し細部を検討する必要があります。交通手段ということでは、公共交通機関という代替手段があります。ガソリンが本当に高いのであれば、代替手段への移行が起こって当然なのですが、そうした移行が進んでいるとは思えません。ということは、現在のガソリン価格は、まだまだ許容範囲にあるのだとも言えます。

 同じ場所に行くのに、公共交通機関と自家用車の場合を比較してみます。公共交通機関で1000円かかる場所に行くのに、自家用車でガソリン代が 1200円かかるとします。かかる時間は同じだとします。経済原則からすれば、公共交通機関を選択するという結論になるでしょう。でも実際は違うのです。自家用車なら、自宅から駅まで歩く必要がありません。雨の日に傘をささずにすみます。電車の乗り換えの手間もありません。車の中で好きな音楽を聞くこともできます(ヘッドホンを使えば電車でも可能ですが)。これらをすべて考慮したうえで、自家用車が選択されるということなのです。額面の数字だけで交通手段の選択が行われるわけではありません。ですから、公共交通機関を選択させたかったら、ガソリン代はもっと高くてもいいということなのです。

 交通政策という観点からすれば、国民にアクセシビリティーを保証することが基本になります。公共交通機関が整備された地域で、それでも自家用車に乗りたいという人がいれば、その人には相応のガソリン代を負担してもらえばいいのです。長期的なヴィジョンや、環境のことなどを考えれば、ガソリン代はヨーロッパ並みに、1リットル250円から300円でもいいと思います。

 公共交通機関を整備しても、利用者が少なければ、収支は赤字になります。赤字を解消しようとして運賃を値上げすれば、交通手段は自家用車にシフトし、公共交通機関の利用者はますます少なくなります。今現在でさえ、額面に現れない効用まで含めたら、自家用車の方が割安だと多くの人が考えているのですから、公共交通機関の値上げは、ますます格差を広げるだけです。そして自家用車を持たない人などの、本当に公共交通機関を必要とする人にしわよせが行くことになるのです。

 10月1日の京都新聞には、「京都市営地下鉄、運賃大幅上げも 資金不足 全国最高290億円」という記事が載っていました。

   巨額の建設費が原因で、1日当たりの収入7000万円に対し、
   利子を加えた建設費返済金は7600万円。人件費などの運営
   費を引くと毎日4300万円の赤字を続けている。

せっかく地下鉄を整備しながら、自家用車の規制に踏み込めないということが、交通政策の矛盾を示しています。鉄道やバスに関する政策と、自動車に関する政策は、本来は別々に考えられるものではないのです。アクセシビリティーの確保という観点から、総合的に考えられなければなりません。市街地への自家用車の進入規制という直接的な手段が採れないならば、ガソリン税を引き上げる等の間接的な手段を採るしかないでしょう。ガソリン価格が上がったとしても、それは受益者負担ということですから、不平等ではありません。

 ひとつ問題なのは、鉄道や地下鉄路線のない地方ではどうするかということです。自家用車以外交通手段がない地域というのは、まだまだたくさんあります。そうした地域には、ガソリン税を減免するなどの措置が必要でしょう。公共交通機関の普及率に応じてガソリン税や自動車税の税率を決めるというルールでもいいかもしれません。

2008年10月13日

町家型住宅プロトタイプ

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 敷地の間口が6mで、その間口いっぱいにガレージ付の住宅を建てるプロジェクトです。面する道路の幅は4~6mを想定しています。街中ではよく見かけるような敷地です。
 街並みの印象は、建物と道路との関係でほとんど決まってくると私は考えています。フェンスの有無、道路境界線からの建物の「引き」等。建物と道路の間に距離があれば、その距離によって自然にプライバシーが守られるのですが、建物を道路に寄せた場合には、入口や窓を工夫することでプライバシーに配慮する必要があります。窓格子等の町家のデザインは、そうした必然性から出てきたとも言えるでしょう。

 伝統として引き継がれるものには、必然性が隠されています。問題はそれをいかにして抽出するかです。そこには現代人の恣意性が入り込む余地があり、似ても似つかぬ結果になることさえあるのですが、そうした格闘を抜きにして、都市住宅を語ることができないというのも確かです。

 両側を隣家の壁に挟まれているため、採光や通風が確保しにくいというのが町家に課せられた条件です。それをどういう形式に昇華するかが町家の本質だと思います。
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壁と屋根を取り去るとこのように見えます。


 RC(鉄筋コンクリート)造の平屋の箱を、鉄骨造の上屋で覆います。RC造の部分と鉄骨造の部分とは、構造的にはつながっていません。全体としては2階建てですが、構成としては、スキップフロアを持つ鉄骨造のワンルーム空間と捉えることもできます。
 RC造部分には、ガレージ・水回り(浴室とトイレ)・主寝室を納めます。機能上閉ざすことが必要な部分で、寝殿造りの塗籠(ぬりごめ)に対応します。それ以外はオープンなスペースです。そのまま使うこともできれば、間仕切りを入れて区切ることも容易にできます。寝殿造りでは、塗籠以外の部分には壁がなく、必要に応じて家具や調度品で仕切って生活していました。行なわれる行事に応じて家具や調度品の配置を変えることを「しつらえ」と呼びます。日本建築のフレキシビリティーを示す例として、襖や障子の使用がよく取り上げられますが、さらに時代を遡れば、「しつらえ」というもっとフレキシブルな方法があったのです。フレキシブルということは無秩序を意味するのではありません。機能上の必然性があるものにはそれに応じた形態を与え、それ以外は使う人の自由に任せるという、柔軟な思考があったのだと思います。

2008年10月22日

非ユークリッド幾何学

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 「三条御池」とは、三条通りと御池通りとの交差点を意味します。京都が条坊制の街であることを知っている人は、東西の通りである三条通りと、同じく東西の通りである御池通りが、いったいどうして交わることがあるのか不思議に思われるかもしれません。縦横の道路網ならば、平行する道路同士が交わるということはありえないからです。

 しかし実際に縦横の区画が厳格に守られているのは中心部だけで(といっても、道路が屈折していたり、部分的に斜めだったりすることはあります)、周辺ではかなり区画がゆがんできます。平行だったはずの道路も、いつのまにか斜めに逸れていくことがあります。そうしたわけで三条通りと御池通りが交差するということが起きるのです。

 周辺で区画が崩れているのは、地形的な理由もあるでしょうし、ずっと後の時代にそうなったのかもしれません。でも、もし平安京建造当初から意識的にそうしていたとしたら、それはかなり興味深いことだと思います。

2008年10月26日

狭小住宅はテーマとなり得るか

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 狭小住宅に明確な定義はないのですが、通常は敷地面積が15坪(50平方メートル)以下の住宅を指すようです。一時期、狭小住宅が雑誌等で盛んに取り上げられました。そうした場合には「建築家が設計した」という枕詞が付けられることが多かったように思います。なぜ建築家が狭小住宅を設計するのかについては、いろいろな視点から論じることができますが、現実的な理由から言っても、狭小住宅は建築家が設計するのに適していたからです。

 狭い敷地で、しかも変形の敷地となると、住宅メーカーでは対応できません。標準設計を当てはめることができず、規格の部品も使えなくなるので、採算が合わないからです。工務店はといえば、専門は施工することです。図面があれば施工はできますが、ひとつひとつ異なる敷地に合わせて図面を描かなければならない場合には、専属の設計者を置いている場合以外は不可能でしょう。そこで建築家の出番ということになります。

 何よりも、建築家は面積を操作するプロです。生活動作に必要な面積を最適に配分することは、もっとも得意とすることです。もちろん効率よく面積を配分するとしても、限度というのはありますが、それでも少ない面積で快適な生活を実現するというのは、挑戦し甲斐のあるテーマです。

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 実は、狭小住宅と建築家との関わりは今に始まったことではなくて、1950年代にブームがありました。その頃の住宅は、現在狭小住宅と呼ばれるものよりもさらに狭いのですが、機能を絞ることや、構造上の工夫によって、十分な居住空間を実現しています。それらからは、清々しい印象すら受けます。予算の制約というのはいつの時代も付きまとうものですが、この時代においては、欲しいものを我慢するというのではなく、本当に必要なものだけを取捨選択していく動機にしているようにも見えます。

 そう考えたとき、現在にあっても、狭小住宅は住宅の原点を考える契機になり得るとも言えます。しかし現実には、現在の狭小住宅は単なるダウンサイジングになっている場合が多いようです。つまりもっと広い住宅で採用されるプランニングの考え方を、そのまま縮小して当てはめるやり方です。これでは狭小住宅に積極的な意味は見出せないということになります。狭小住宅がテーマとなり得るためには、ライフスタイルにまで踏み込むような議論が必要になってきます。

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 それと、限られた面積の中での帳尻合わせはできたとしても、それは個別解に過ぎません。もちろん建築は一品生産であり、それぞれの敷地、それぞれの建築主に合わせる必要があります。しかし同時に、建築は一般解でなければならないのです。狭小住宅が建築家にとってテーマとなり得るかどうかは、その時代の技術、その時代の思想が、形式にまで昇華されているどうかにかかっているのです。

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 狭小敷地ということで、間口が4m、奥行きが15mの敷地を想定しています。敷地面積は60平方メートル(18坪)です。自動車のガレージを設ける場合は、4mという間口はほぼ限度だと思います。

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 床面積は、1階と2階を合わせて44.4平方メートル(13.4坪)です。この床面積は、初期の公団住宅とほぼ同じです。道路に面してガレージがあり、ドアを開けて中庭にでます。中庭から居住部分に入るようになっています。将来増築が必要になった場合、中庭や中庭の上部を利用することができます。

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 こうした構成の場合、奥にいくほどプライバシーの濃度が高くなるのですが、街並みにたいしては閉鎖的になります。そこで2階の高さで、道路から奥の居住部分まで通路(バルコニー)を設けています。いわば町家の通り庭の翻案です。ガレージ上部に部屋を増築した場合、この通路が廊下として機能することになります。

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