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2008年12月 アーカイブ

2008年12月14日

合成の誤謬

 合成の誤謬とは、個別には正しいことが、全体を合計してみると間違いになる現象を言います。たとえば、個人は貯蓄をしますが、それは将来の大きな買物のためや、不意の支出や老後に備えるためです。ですから貯蓄するという行動は、個別には合理的です。誰もが皆そうした動機によって貯蓄を増やすと、国民全体での貯蓄が増えることになります。しかしその時に、増大した貯蓄に見合うだけの投資(設備投資)が行われない限り、国民所得は減ってしまうのです。国民所得が減れば、もちろん一人当たりの所得も減ります。景気が悪くなれば投資が減るので、そうした局面では個々人の貯蓄の増加が国民所得の減少となって現れるということになります。何か不条理に感じますが、経済学的にはそうなのです。

 個別的に見て正しいことを積み上げていっても、得られる結果が正しいとは限りません。そうした現象はいろいろな局面に現れます。建物の耐震性についてもそれはあてはまります。耐震性を高めるために各部分を補強するという考え方自体は正しくても、補強すればするほど他に矛盾が生じ、さらに補強が必要になるという悪循環に陥ることがあり得るのです。全体のバランスを見ずに、部分だけで考えていった場合、そうした罠が待ち構えています。

 木造で、縦の部材(柱)と横の部材(梁)を組んで四角のフレームを作ったとします。地震の力は横から作用しますが、そうした横からの力が加わると、四角のフレームは平行四辺形に変形し、最後にはつぶれてしまいます。そこで何らかの補強が必要になります。例えばフレームの対角線にもう一本部材を追加し、四角形をふたつの三角形に分ければ、フレームは変形しなくなります。大ざっぱに言えば、これが耐震設計の原理です。しかし、フレームの変形による倒壊の危険性がなくなっても、今度は別の危険性が生まれます。フレームごと倒れてしまうという危険性です。そこで今度は、フレームを地面に固定するための補強が必要になってくるわけです。こうして、木造と言いながら、金物による補強が主役になるという本末転倒に陥ってしまうのです。

 補強に補強を重ねた結果、現在の木造は、日本の伝統的な木造とは全く別物になってしまいました。アメリカやカナダから入って来た枠組壁構法(ツーバイフォー)に対比して、柱と梁が入る構造を在来軸組構法と呼ぶことがあります。「在来」という言葉から、伝統的な構法と勘違いされがちですが、実際には戦後の産物であり、せいぜい50年程度の歴史しかありません。もちろん構造的に合理的であれば、歴史などなくても構わないのですが、在来軸組構法はどう見ても合理的な構造ではないし、それが伝統的な木造と誤解されたまま流通していることが問題なのです。

 木造が日本の気候風土に適しているというのは、現在では供給者側の宣伝文句以上ではないでしょう。メリットといえば、技術がなくても安く作れるということだけです。接合部の金物補強というのは、もっとも技術の低い大工が作っても耐震性を確保できるようにという配慮なのですが、それが法律で義務づけられると、技術を高めようというモティベーションが社会的に失われていきます。高い技術を持った大工が、コストがかかるという理由で逆に淘汰されてしまうのです。

 誰が作っても一定のレベル以上のものが出来るというのは、技術の平等性ということであり、一面では進歩の指標でもあるので、否定はしません。でもそれが強制力を持って流通していくとなると、今度は技術の発展を止めてしまうのです。

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