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2009年01月 アーカイブ

2009年01月19日

影のできない部屋

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 光が物に当たれば、普通は影(shadow)ができます。影には物を立体的に見せる効果があります。だとすれば、逆に影をなくすことで、物の実在感をなくすことができるのではないかと、ふと思いました。そこで、影のできない部屋を考えてみました。

 床や壁をつや消しの黒にすれば、影は見えなくなります。影がなくなったわけではありませんが、見えなければなくなったも同然です。しかし、床まで黒いと、つまづいたりして危険ですし、全部が黒いというのもあまり面白みがありません。そこで床を、それ自体が光る物体にして、影を消し去ることを考えました。

壁と天井をつや消しの黒にし、床はガラスブロックを敷き詰めます。下の階の照明がガラスブロックを通してこの部屋に届きます。こうして影のない部屋ができあがります。3DソフトのShadeでレンダリングしてみました。照度は高いのに、輝度の低い空間です。この空間では、物や人の物質感が希薄になっていくはずです。

2009年01月25日

技術の民主化

 技術が誰にとっても使いやすくなることは、その社会の進歩の指標だといえるでしょう。もし技術が特定の人にしか扱えないものであれば、それは社会的な役割の固定化につながりやすく、小数の人間に権力が集中することにもつながりかねません。技術の万人への普及は、民主主義の基盤だともいって良いと思います。ユニバーサル・デザインの7原則に、「そのデザインが誰にとっても使いやすいこと」とありますが、これも技術の平準化が平等の基盤になっていると解釈することが可能でしょう。

 前々回の『合成の誤謬』では、木造建築物をめぐる一見正しいと思える施策が、逆に木造建築物を衰退させる結果になっていることを書きました。今回はそれとは少し違う視点から、建築と技術の関係を考えてみたいと思います。

 建築は、もともとは技術の集積です。もちろん現在でもそうであることに変わりはないのですが、昔と今では意味が異なっているように思われます。かつては、デザインの基礎となる幾何学にしても、石などの材料を加工する技術にしても、建築はその時代の最先端でした。しかし現在では、建築に最先端の技術が使われることは滅多になく、むしろ広く普及し使い古された技術によって建てられるのが普通です。これは、建築を建てる主体の変化とも関連していると思います。かつては建築といえば。王侯貴族や教会など、ごく少数の人間のためのものでした。しかし現在では、身分的にも経済的にも、誰もが建築を建てることが可能です。これは社会的な進歩ですし、技術はその下支えになっているわけです。

 問題は、こうした技術の変容が、建築の受け止め方にどのような影響を与えたかです。19世紀から20世紀への変わり目が、技術の意味の上での転換点だったように思われます。この時期に現れたのが、いわゆる近代建築運動(モダニズム)です。近代建築は、壁に施された彫刻などの装飾を拒否し、建築を抽象的な形に還元しようとしました。物の素材感さえ消し去ろうと、壁は白いペンキで塗られました。それとともに技術の意味も変容します。それまでは、物をつくること自体が技術であり、そこに最大の労力が注がれたのに対し、近代建築では抽象的な空間が目標となり、それを実現する技術は背景に退いているのです。

 もちろん近代建築は一枚岩ではありません。鉄・コンクリート・ガラス等の素材を使いこなす技術も同じ頃に開発されました。しかし、主流として現在まで残ったのは、技術を表に出すのではなく後景化させる考え方だったように思われます。物ではなく空間に比重を置くことで、技術は裏方に回り、誰にも使える汎用性を獲得したのです。空間という概念で建築が語られるようになったこと、空間が操作の対象として扱われるようになったことは、汎用的な技術の普及と表裏一体と言えるでしょう。

 以前書いた『形から入る』は、この文脈に接続します。つまり、文化遺産として残る建築物(それらは「本物」です)と同等の物を、現在の民主化された技術でつくることは、原理的に不可能だということです。可能なのは、それらが投げかけるイメージを、民主化された技術によって模倣することだけです。ですからつくられるものははりぼてでしかあり得ないし、積極的にそれをよしとするしか道はあり得ないということになります。

 現在では、建築を空間として語ることに誰も異議を唱えません。そうした状況を支えているのが技術の民主化です。というよりもむしろ、技術が民主化した今日にあっては、空間という概念でしか建築を語れなくなってしまっているということでしょう。技術が空間に従属するのではなく、技術それ自体が目標であった時代の建築と、今日の建築とが、端的に違うという事実を認識するところからわれわれは出発するしかないでしょう。

 歴史的な分岐点は、やはり20世紀初めの近代建築運動にあったわけですが、現在の状況からの脱却を考えようとするならば、その時点に立ち戻るしか方法はないように思われます。

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