以前書いたコラムの続編です。
数年もすれば過去のものとなり、人々の記憶から忘れ去られていくのは、何も小室の音楽に限った話ではありません。というよりも、現在出回っている音楽のほとんどすべてがそうでしょう。ロックも、ジャズも、そして日本の歌謡曲も。これらはすべて残らない音楽なのです。中には十年後くらいにリバイバルするものもあるかもしれません。しかし100年後には間違いなく忘れられています。ビートルズも100年後には残らないと思っています。現在は録音という技術があるので、音源としては残るでしょうが、一部のマニア以外は興味を示さないでしょう。まあ100年後のことなど、どうでもいいことなのですが。
では残る音楽とは何かということになります。バッハ、モーツァルト、ベートーベンが残るのは確かです。既に200年残ってきたのだからという理由もありますが、やはり本質的な意味があるからです。ロマン派や印象派の音楽も残ると思います。20世紀の何人かの作曲家も残ると思います。問題はその後の、音楽の主流がクラシックからポピュラー音楽に代わってからです。20世紀は、ロックやジャズなしでは語ることができません。しかし、それが残るかどうかはまた別の問題です。
ここでは音楽の良し悪しは問題にしていません。残るから良くて、残らないから悪いということではないということです。今聴いて、それで良いと思えればそれでいいのです。ここでは、異なる角度から音楽を考えてみたいと思ったので、残る・残らないという別の判断基準を導入しただけです。
音楽が芸術でなくなることはないのですが、かといって芸術を免罪符にできるわけではありません。言い換えると、音楽のうちの芸術性はゼロになることはないのですが、実際には音楽のかなりの部分を占めるのは芸術性以外の要素です。現在のポピュラー音楽では、芸術性以外の要素が大部分を占めていると言えるかもしれません。その芸術性以外の要素とは、人間工学です。
現在では音楽というのは理論化されていて、どの音とどの音の組合せが心地良いのかという体系が出来上がっています。「心地良い」というのがキーワードで、各部分の寸法をどのようにしたら座り心地の良い椅子ができるのか、というのと同じなのです。感じ方には個人差がありますが、全体のうちの90%の人を納得させるフレーズやデザインというのは、統計的なデータを利用することで可能になります。あとはそれを複合させたり、難しいテクニックが必要になるようアレンジしたりして、個性を演出するわけです。
ジャズがジャズらしく聞こえるというのは、理論に基づいて音が選択されているからです。その理論というのは、心地良さを感じさせるように組立てられているので、聞いた人の大多数は、当然それを心地良く受け取るということなのです。
建築のデザインについても同じことが言えます。心地良いと感じさせる空間は、大部分は人間工学によって可能です。芸術性はゼロにはなりませんが、地位は後退しています。どんな間取りが住みやすいのか、各部分の寸法をどれだけにしたら使いやすいのかという研究は以前から行われていますが、調査の結果を応用するという方法は、視覚的な感じ方に関しても適用可能なのです。90%以上の人が納得できるような、いわゆる「はずれのない」デザインをするためには、調査や研究は欠かせません。
もちろん心地良い空間が悪いはずはありません。しかしそこに罠が待ち構えているように思います。「心地良さ」を基準にする限り、そこには出口がありません。デザインされた住宅や店舗や事務所ビルが20年ほどで建て替えられていく現状は、ポピュラー音楽が消費されていく状況と変わりないと思います。
建築は、100年以上その場に建ち続けることによって、人々の記憶を継承するものでもありました。それは「心地良さ」を越えた機能です。その機能が失われてしまった今、建築という概念を残すための別の枠組を考えていかなければならないでしょう。
