
平日に行ったので、美術館の外に行列ができるほどではなかったのですが、中はかなり混雑していました。通常の展覧会とは違って、エントランスホール奥の大展示室に仮設の入口が設けられていました。入場者の行列ができるのに備えてでしょう。大展示室は半分に区切られており、残りの半分は、出口に接続するようになっていて、屋台のような特設のミュージアム・ショップになっていました。
この展覧会の一番の呼び物で、チケットにも印刷されているフェルメールの絵は、25cm四方程で予想していたよりはるかに小さく、もう少しで見逃すところでした。
この展覧会は、時代を17世紀と限ったことに意味があると思います。17世紀といえばバロック。展示作品のほぼすべてが、ルネサンスの遠近法を引き継いだ写実的な絵画です。バロックは、それに光の効果を付け加え、劇的な構成を完成させます。解説はほとんど読まずに(というより、人が多くて絵に近づけない)、やや遠目に絵だけを見てまわったのですが、展示そのものから17世紀という時代が浮かびあがるかのようでした。
近くにあるものが大きく、遠くにあるものが小さく見えるというのが遠近法ですが、これは近くにあるものの方がより重要であることと対応します。ある視点からの遠近によって、画面が秩序付けられるわけです。立体を正確に見るというルネサンスの遠近法を超えて、表現したいものをより際立たせるために遠近法が使われます。光の場合も同様で、強調したい部分を明るくし、それ以外を暗く描くことで、画面に秩序付けが行なわれます。このふたつの秩序に基づいて画面を構成することで、バロック的表現が可能になると言えるでしょう。
遠近による秩序と明暗による秩序が一致する場合、画面からは明確な表現意図を読み取ることができます。とりわけ肖像画の場合がそうです。描かれる対象は、画面の中心にあって、一番手前に来ます。光は顔に当たっていて、背景は暗く描かれます。ふたつの秩序が同じ方向に作用することで、効果は相乗され、画家の視点と鑑賞者の視点が一致するかのような視覚効果が生まれるのです。
しかし、遠近による秩序と明暗による秩序が相反する場合というのも、描く対象によってはありえます。背景が青空である場合や、ゴシックの大聖堂の内部を描く場合です。こうした場面では、画家の構成力が試されます。青空を背景にした絵では、背景の方が明るくなって、手前にある対象が暗くなるという逆転が生じます。そのため通常は、背景のトーンを落したりしてバランスを取っています。大聖堂の内部では、自然な遠近法では手前の方が明るく、奥が暗くなるはずですが、宗教的意味合いからすれば、奥の祭壇が明るくなければなりません。この画面をどう構成するかは画家の腕の見せ所でしょう。ふたつの秩序が対立する場面というのは、バロック的な表現が行き着いた矛盾点を示していると言えるのかもしれません。
フェルメールの『レースを編む女』も、そういう意味では不思議な絵です。光は顔よりもむしろ手元にあたっています。そこに表現意図があるということでしょう。問題は、背景の明暗が逆転していることです。手前が暗くて、奥の壁が明るいのです。こういう絵は、他にはなかったと思います。絵画が立体を平面に固定するという呪縛を逃れるのはもっと後の時代ですが、そうした萌芽と解釈することも可能ではないかとふと思いました。
