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2010年01月 アーカイブ

2010年01月09日

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

 村上春樹に対しては、場面設定や登場人物の行動が不自然だとか、心理描写ができていないという批判が為されますが、そうした批判は無意味でしょう。彼の小説は寓話なのです。イソップ寓話同様、登場人物は擬人化されたキツネやカエルであっても一向に構いません。登場人物は、理念を単純化して物語の中に配置したというだけなのです。彼らは自身の内面によって行動するというよりは、あらかじめ決められたストーリーに従って動きます。そうしたストーリーを読ませるのが村上の小説です。

 次に為される批判は、登場人物が作者の意図通り動くならば、小説は作者の内面の吐露に過ぎず、閉じた枠から出られないだろうというものです。確かにそうした側面はあります。だから彼の世界に共感できる人と共感できない人とに二分されるのでしょう。ハードボイルド小説を読んでいるような気分を覚えることもあります。しかし、彼の小説の意味はそれだけではないでしょう。自身が創作した登場人物を意図通りに動かしながら、実はそうした意図が破綻する地点を目指しているように思われます。徹底した虚構性に依拠しながら、虚構が破綻する一点に現実を接続しようとしているのです。というよりも、われわれが目にしている現実というものも実は巧妙につくりあげられた虚構かもしれず、それを虚構だと認識したとき初めて、別の世界の存在とに気づくという構成なのです。彼の小説の意味は、ですからそこに書かれていないものにあります。それが寓話というものです。

 「終りの世界」と「ハードボイルド・ワンダーランド」というふたつの世界が設定されます。それぞれで起こる出来事が、互いに無関係であるかのように交互に描写されていきます。ふたつの世界の地理的な関係や時間的な関係はわかりません。しかし読み進むうちに、ふたつの世界が実は同じもので、別のフィルターを掛けることで別の世界に見えているだけだろうとか、ふたつの世界は裏と表の関係ではないだろうかとか、そうした想像が膨らんでいきます。

 ふたつの世界の関係をどう図式化するか、そこにこの小説の一切が懸かっています。「終りの世界」は、争いや不安のない安定した世界です。しかしそこには何かが欠けています。その欠けているものとは、情動(小説の中では「心」と呼ばれています)です。情動を捨て去ることと引き換えに、人々は平和と日々の満足を得るのです。しかし登場人物は、そうした世界ではない世界を希求します。人間が情動を持った世界を。「ハードボイルド・ワンダーランド」はその裏返された世界です。人々は自分の欲望に従って行動します。現代社会の写しです。ここで欠けているものは、本質です。深層心理とかアイデンティティーと言い換えることもできます。日々の生活の中で見失っている本当の自分。

 どちらの世界においても、登場人物は自分探しの旅をしているわけです。ふたつの世界は、一方が欠いているものを他方が持っているという関係にあります。どちらが優位というのではありません。だから一方が他方に包含される関係ではありえません。

 今ある世界に欠けているものを追い求めるだけならば、それにはいろいろな方法があります。イデオロギーと呼ばれるものがそうだし、宗教もそうです。その世界に欠けているものとは、結局はその世界の原理や創造者ということになります。たいていの小説は、そうした結論に行き着くわけです。

 村上はそうした結論を否定したいのだと思います。ふたつの世界が相互に依存しあっている図式においては、お互いが根拠にしているものが無限に往復し合い、根拠は意味を失います。自分探しの無意味性。意味を与える超越した存在などあり得ないと認識すること、それが新たな出発点となります。こうした認識は、共同幻想ではなく、対幻想ということになるでしょう。

2010年01月17日

『きらきらひかる』

 江國香織の小説である。ここ数日の間、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいるのだが、なかなかページが進んでいかない。そこで、傾向の違う小説を間にはさんで、気分を変えようと考えたのだ。

 夫を主語にした章と妻を主語とした章とが交互に繰り返されながら、物語は進行する。この語りの形式はどこかで見たことがある。『冷静と情熱のあいだ』だ。しかし『冷静と情熱のあいだ』は、主人公の男の視点を辻仁成が、女の視点を江國香織が担当していたから、男と女の視点がもともと異なるという前提があったし、それが物語の信憑性を担保していたと言えるだろう。『きらきらひかる』は、ひとり芝居である。男と女の視点を使い分けながらも、結局は江國の想像力の範囲内に物語はとどまる。

 似ているのはむしろ、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』かもしれない。作者の想像力によって構築された人工的な世界。そこでは、日常生活からの類推などは役に立たない。登場人物の行動が作者によって制御されているとすれば、結末は予定調和なのだし、そこにリアルな男と女の視点が現れるはずもない。われわれは、そこに書かれたことではなく、書かれなかったことを読み取らなければならない。作者が意図的に書かなかったこと、書こうにも書きようもないこと、そうした影の部分を浮かび上がらせることこそが、アルチュセール的な「読む」という行為なのだ。

 では、その書かれなかった部分とは何なのか。物語の進行上不可欠にも関わらず、そこに欠けているもの。それは、主人公の睦月と笑子の出会いから結婚までのプロセスである。たしかに見合いの場面は回想という形で描かれている。しかしそこから結婚にいたる心理の描写はなく、もともと二人が結婚しているという前提から物語は始まる。二人がなぜ惹かれあうのかがテーマだというのに、その始原は描かれない。物語は、始まりを持たないトートロジーなのだ。円環をずっと繰り返すだけである。物語は、始まったときには、すでに終わっている。この小説の本当のテーマは、この書かれなかった始原である。闇の中での飛躍としか言いようのないもの。

 物語は、始まったときにはすでに抜け殻になっている。同性愛者の睦月と情緒不安定でアルコール依存の笑子。睦月には同性愛の恋人・紺がいる。セックスは睦月と紺との間にはあり、睦月と笑子の間にはない。こうした関係は三人の間で了解済みである。これは、睦月と笑子との間のセックスを離れたプラトニックな愛を取り出すための舞台設定なのだ。さらに、紺が睦月の「影」であり、人間の完全さは「影」に支えられているという解釈を付加することも可能だろう。だがこれだけでは、単なるきれいごとに過ぎない。ではわれわれの現実と、この物語とはどう結びつくのか。

 三人は、睦月を間にはさんで一直線上に並ぶ。プラスとマイナスとが引き合うとすれば、睦月をプラスにした場合、「マイナス-プラス-マイナス」という配列になる。マイナス同士は引き合わないから、この直線はひとつの完結した形のように見える。しかし、物語が進行するうちに、この直線はそのままではいられなくなる。笑子と紺との間に感情が芽生えるのだ。それはお互いの睦月との関係を維持するために手を結ぶというような関係である。これを友情と呼ぶのかもしれない。こうして両端のマイナスとマイナスとがつながり、円環ができる。三人の関係はこうして完結し、他からの介入を許さないものとなる。この小説は、閉じないはずの円環が閉じるというモデルなのだ。紫色と赤色は、分光分布では直線の両端に位置するのだが、それがつながって隣り合わせになると、マンセル色相環ができる。それとまったく同じ関係である。

 円環として完成してしまえば、それがつながる前の状態を思い浮かべることは難しい。しかし、確かにそれがあったはずなのだ。円環が閉じる直前のリアリティーを、われわれは閉じた円環の中にいながら想像しなければならない。閉じないはずの円環が閉じるという論理をさらに遡って適用してみよう。この物語が始まる以前の睦月と笑子との出会いについて。そこには、作者ですら決められない深淵と飛躍があるはずなのだ。出会うところまでは周囲がお膳立てしたものであったとしても、そこから先は何も導くものはない。結局暗闇の中での飛躍しかありえない。それ以前とそれ以後は不連続なのである。結局恋愛を支える根拠など何もない。

 江國香織の小説を読んでいて感じる刹那さのようなものは、この根拠のなさにあるのだろう。一見幸せそうな会話や生活も、一歩足を踏み外せば、根拠のなさという闇に沈んでしまう。今隣にいる人がこの人でなければならないという必然性もないし、その人は次の瞬間には自分から遠ざかっていくのかもしれない。出会いが不連続点であったということは、現在の関係が過去からの積み上げではないということを意味しているのである。

 白雪姫等の童話は、徐々に関係を積み上げつつ、結婚というゴールに向う。そのプロセスが劇的であることによって、ゴールした後の幸せが永遠に続くことが示唆される。しかし江國の小説ではこの関係が逆転していて、結婚がスタートになる。スタート以前に何かがあったことは確かだが、それは語ることができない。物語は常に、根拠づける過去を失った現在進行形である。何が正しいのかわからないまま、手探りで進んでいく。それは登場人物も作者も同じことである。そこに彼女の小説のリアリティーがある。

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