レイモンド・チャンドラーの最後の長編小説『プレイバック』を読み返した。初めて読んだのは、確か中学生の頃だ。その時は、あまりおもしろいという印象はなかった。主人公フィリップ・マーロウの次の有名な台詞を意識することもなかった。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
この台詞がどんな文脈で登場したのか知りたくて、この小説を読み返したというわけだ。読んでいくに従って、部分的に思い出す場面もある。だが誰が犯人だったのかという核心部分は思い出せないままだった。ジャンルで言えば推理小説なのに、ストーリーの核心部分を覚えていないのは奇妙なことだ。
この台詞が登場するのは、事件が大方解決した後である。ハヤカワ・ミステリ文庫(清水俊二訳)では232ページ。
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、事件の台風の目であった女が問いかける。マーロウの台詞はそれへの回答だ。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
「しっかりしていること」と「やさしいこと」とが、相いれないという前提が問いには含まれている。人が生きていく上では、どちらか一方しか選びようがないとでも言うように。
マーロウの答えを見ていく。「しっかりしている」ことは生存のための条件だ。しかしそれだけでは意味がない。生存に意味を与えなければならない。「やさしくなること」は、生きることに意味を与えるということだ。物質と精神の二分法である。精神を上位概念にもって来ることで、相いれないものが統合される。強固な外面に守られることで、内面の純粋さが保証されるということだ。内面は直接に外面には反映せず、外面は内面を隠すバリアともなる。
しかし彼女にとっては、「しっかりしていること」と「やさしさ」とは、あくまでも同じ平面上にあって相いれない。的確な判断や強引ともいえる行動力が「しっかりしていること」の内容だとすれば、「やさしさ」は弱さということになるだろうか。同じ平面上では、無原則に両者が交じり合うことなどあり得ない。この質問と答えが噛み合わないという構成こそが、実はこの小説の核心なのではないか。
チャンドラーの小説は、マーロウの一人称で語られる。だから状況の描写は、彼を通して行われる。小説の中で内面を持つのは彼だけである。だから彼はあの台詞が言えたのだ。登場人物は、外面だけでお互いに接している。場面に投げ込まれたマーロウも、他の登場人物からは外面しか見えない。ストーリーが進行して行くためには、登場人物それぞれの動機と行動とが統合されている必要がある。その中でマーロウは、いわば特異点なのだ。
女の問いかけは、一人称の語り手が特異点であることを暴露する。ストーリーの中に身を置きながら、同時にそれを外側から眺めているような視点。しかしそれは、ストーリーを意のままに出来る全能性を意味するのではない。作者の分身として投入されながら、それを逸脱し、別の存在感を獲得して行く。チャンドラーの小説のリアリティーは、このあたりに秘密があるのではないかというのが、今回読み返してみての感想である。
