今私の一番関心のある思想家は、ヴァルター・ベンヤミンである。建築家ではミース・ファン・デル・ローエ。この二人は同時代人である。ベンヤミンは、1892年ベルリン生まれ、ナチスの迫害を逃れる途上で1940年に自殺している。ミースは、1886年アーヘン生まれ、ナチスの政権獲得後アメリカに亡命し、1969年にシカゴで亡くなっている。ミースにはあまり政治的な面はなかったように言われているが、彼の作品には、他の建築家よりもいっそう同時代の空気が反映されているように思う。その空気を知るために、最近ベンヤミンを読み返している。
ベンヤミンの主な論文を収録した『ベンヤミン・アンソロジー』(山口裕之編訳)が河出文庫から出た。「複製技術時代の芸術」(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit)も新訳で収録されている。この本では、「技術的複製可能性の時代の芸術作品」というタイトルに改められ、内容も読みやすい文章になっている。
過去から未来へという時間軸と、広がりを持った空間の座標との交点が、ベンヤミンの主題なのだと思う。ここで彼の思想が建築との接点を持つことになる。しかし時間軸も空間の座標も、単なる物理的な単位ではない。交点に立つ人間を介してのみ計ることが可能である。だが一方で、人間はそうした交点に位置づけられてはじめて人間としての活動が可能になる。相互規定的であり、出口はない。だからこの枠組みを認識することも含めて、すべてが超越論的でもあるわけだ。時間軸を歴史、空間の座標を政治と言い換えることができる。人間は、歴史からも政治からも逃れることはできない。だが人間が位置するその交点が、時間的にも空間的にも広がりを持たない凝縮された一点、つまりは無であることによって、逆に歴史や政治を照射できるのではないか。
「複製技術時代(技術的複製可能性の時代)」を論じるにあたって、ベンヤミンは映画を時代の代表例としてあげている。だが今日ではむしろネットワーク(ウェブページ・ブログ・SNS等)を代表例とすべきだろう。「芸術」という言葉に騙されやすいが、礼拝の対象だった芸術が、もっと身近になり、気晴らしとして受容されるようになるというのがもともとの文脈であるから、影響力という点から見てもネットワーク(以下「ネット」と呼ぶ)の方が例として適当である。ネットでは、権威のある人の発言が特別扱いされるということはない。基本は匿名性にあり、発言の影響力は内容に依存する。「成りすまし」というのも可能だし、実社会におけるアウラは意味を持たないのである。だがそれは逆に、真偽の判断も宙吊りにされることを意味する。真偽がアウラによって担保されないのであるから、情報の取捨選択は、自己責任において行なわなければならないのだ。
しかもネットにおいては、情報を受容するだけでなく、誰もが容易に発信者になりえる。こうした交流のあり方が、今日における「芸術」なのである。洞窟絵画にまで遡る礼拝対象としての芸術は、その時代・その社会の成員に、集団の規律を周知させる意義を持っていた。同様に現代の「芸術」は、匿名での情報の流通を通して、社会のモラルと政治を生成するのである。芸術とはメディアである。それがどういう結果をもたらすのかは、あらかじめ言うことはできない。ベンヤミンは、当時の映画のような新しいメディアが、大衆を反ファシズムへ向けさせることを期待した。だが、映画を宣伝に効果的に使ったのはむしろファシズムの側であった。メディアはどちらの側にも加担し得る。もちろんそれはベンヤミンも認識していたはずだ。彼があえて芸術という言葉を使ったのは、芸術的な想像力においてファシズムを上回る必要があると考えたからではないだろうか。時間軸と空間の座標が交差する点において、無に等しい人間が、想像力によって超越的に全体構造を認識することに期待するしかないのだ。
われわれを取り巻く建築物は、ほとんどが複製(コピー)である。歴史的な建築物の複製だったり、外国の建築物の複製だったり、有名な建築家の作品のコピーだったりする。技術的にはどれも可能である。「何々風」と呼ばれるものが氾濫している。景観法が施行されている京都市では、京都風が行政によって強制されている。たとえ複製であっても、100年間その場に建ち続ければ、アウラを獲得するだろう。だがせいぜい20年程で取り壊される複製にアウラは期待すべくもない。景観法は、こうして京都からアウラを奪っていくという皮肉な結末を迎えるだろう。
現代建築の耐用年数は短い。物理的な耐用年数もさることながら、実際には20年から30年、場合によってはもっと早く取り壊される。かつての建築が備えていた永続性は、もはや期待されていないのだ。建築が建築たり得る根拠が揺らぎ始める。空間の座標を占めるだけでなく、永続することで時間軸の指標になるという存在理由が失われてしまうのである。建築におけるアウラの喪失。建築は、それ自体で在るものではなくなって、何か他の目的のための手段になりつつある。
そうした状況がミースの出発点だったはずである。そして、アウラを擬似的に回復するような方向(究極はシュペーア)ではなく、建築がそれ自体として在るものにする方向で思考を進めていったように思う。
