新しいGT-Rが東京モーターショーで発表されました。「スカイライン」という名称は付かず、単に「NISSAN GT-R」となっていますが、スカイラインGT-Rの後継であることは一見して明らかです。
空気抵抗を減らすためには流線型である必要がありますが、同時にセダンベースであることが読み取れるような処理が施されています。セダンがベースになっているということも、スカイラインの重要な記号だからです。そしてディテールには、これまでのスカイラインのデザインモチーフが巧みに織り込まれています。
デザインとして見た場合、以前発表されたプロトタイプでは、ヘッドライトから下が縦のスリットとしてデザインされていましたが、今回の正式発表でそのスリットがなくなってしまったのは残念な点です。
高性能とは、スカイラインにとってはレースで勝てることを意味します。それは3代目スカイラインが伝説となって以来の呪縛のようなものです。勝つために手段を選ばないのは当然のことで、最新の技術が惜しみなくつぎ込まれているのは驚くことではありません。しかしそこにひとつだけ制約があるとすれば、スカイラインはスカイラインとしてレースに勝つ必要があるということです。つまりアイデンティティーは守られなければならないわけで、どんな速いクルマであろうとも、それがスカイラインでないならば、開発者である日産にとっては何の意味もないのです。
運動性能だけならばミッドシップの方が有利です。しかしスカイラインがミッドシップを採用することはあり得ない話です。つまり技術的な最適解だけがクルマの本質ではないということです。では何が本質なのでしょうか。もし本質がはじめからわかっているならば、それに向けて技術を集約すればいいわけで、それは難しいことではありません。困難なのは、何も基準がないところで、手探りでその本質に近づこうとすることです。スカイラインの歴史とは、あえてその困難を引き受けようとした歴史と言えるでしょう。
出発点は、3代目スカイラインがレースでの不敗神話をつくりあげたことにあります。それはアスリートが、誰も超えられないような記録を打ち立てたことに似ています。その記録自体が美であり、それを実現したアスリートの肉体も美と呼び得るでしょう。しかしアスリートの場合、肉体は一回性のものであり、その肉体が消滅すれば、残るのは記録という記号だけです。再現する手段がないことによって、記録は神話化されます。それに対してクルマの場合は複製が可能であり、同じものをつくれば、理論的には同じ結果を引き出せるはずです。それは、レースの勝利がもたらす高揚感さえも、技術によって獲得が可能だということを意味します。これは、ベンヤミンのいう「複製技術時代の芸術作品」の在り方に他なりません。3代目スカイラインのデザインに、もともと意味が込められていたと考えるのは正しくありません。意味は、伝説と共にそこに啓示されたのです。
美を記号によって再構成すること。スカイラインに課せられたのは、この宿命です。単に速いクルマを1台だけつくるのは、技術的に難しい話ではないでしょう。しかしそれは複製技術時代の美とはなり得ません。誰もが日常的に接するものや出来事の中に美は再現されなければなりません。速さはそれ自体が記号ですが、その記号はエンジンやボディの形式からテールランプの形状に至るまでの、さまざまな記号によって支えられています。スカイラインやGT-Rというネーミングも記号です。それらの記号から、本質的なものとそうでないものとを選別し、洗練させていくという作業が、伝説となったクルマには残されるのです。
フロントエンジンの後輪駆動、直列6気筒2リッターDOHC、4ドアまたは2ドアのセダン。これらが伝説を支える記号です。他にも四輪独立懸架、5速フロアのマニュアルミッション、フェンダーのサーフライン等を加えることもできます。それらが直接に速さに貢献しているかどうかは、ここでは問題になりません。伝説となった3代目スカイラインが、これらの記号をすべて備えていたということであり、それらを出発点として考える以外にないからです。
5代目スカイラインは、排ガス規制によってエンジンに大幅な制約を受けるなかで開発されました。つまり直列6気筒2リッターではあっても、DOHCではなかったのです。重要な記号のひとつを欠くことにより、GT-Rという記号も同時に失うことになりました。次の6代目では、DOHCが復活します。しかし今度は6気筒エンジンではありませんでした。ここでも記号の欠落ゆえに、GT-Rを名乗ることはありませんでした。5代目、6代目においては、走りに関わる重要な記号の欠落を埋め合わせるかのように、造形面での試行錯誤が繰り返されて行きます。
そして7代目に至って、やっと排ガス規制のくびきを抜け出し、直列6気筒2リッターDOHCという完全な記号を復活させます。造形のおいても、完全な比例関係を実現します。直列6気筒を納めるための長めのノーズ、ノーズとバランスを取るように決められたトランクの長さ。必然的にキャビンは短くなります。スカイラインは、全長の割りには、後席の居住性は良くありませんし、トランクも見かけほど広くありません。これは居住性や使い勝手でプロポーションが決められているのではないからです。言い換えれば、あえて居住性を犠牲にしてでも実現しなければならなかったプロポーションだったということなのです。
7代目スカイラインは、当然GT-Rを名乗る資格がありました。しかし日産は、7代目にGT-Rのネーミングを与えませんでした。その理由は推測するしかないのですが、レースに本格的に復帰するにあたって、7代目をGT-Rとして参加させることだけでは不十分だと日産が考えたからではないでしょうか。もちろん7代目スカイラインが戦闘力で劣るとは思いません。しかし十数年のブランクの後での復活は、ただ勝つだけではなく、圧倒的な勝利でなければならないと彼らは考えたのかもしれません。3代目の時代には、2リッターという排気量は、それだけで高性能を約束するものでした。しかし80年代に入る頃には、3リッターの排気量さえ驚くほどではなくなっていました。2リッターの排気量に固執することが、足枷になっていたのです。
GT-Rのネーミングと共に登場した8代目スカイラインは、直列6気筒という記号は保持していたものの、排気量は2.6リッターに拡大されていました。しかも後輪駆動ではなく、四輪駆動です。勝つためには手段を選ばないという非情さもそこには読み取れます。外観も、セダンベースであることは変わらないものの、大きく変わりました。
8代目スカイラインは、記号の再構成によって美を再現するというこれまでのあり方から転換し、レースでの圧倒的な勝利によって新たに伝説をつくり上げようとしたのです。それは退路を断つという決断でもあります。そして実際に新たな伝説を実現したのは、よく知られる通りです。
その8代目スカイラインからさらに十数年が経ち、その当時を冷静に振り返ることが今では可能です。8代目が、スカイライン中興の祖と呼ばれることには、正当な理由があります。しかし、スカイラインは7代目で終わっていたほうがきれいだったのではないかというのが、率直な思いです。2.6リッター+ツインターボ+四輪駆動という組合せが、スカイラインではない別のクルマで実験されたならば、本当の意味でスカイラインを越えるクルマが現れたかもしれません。